果たしてそうでしょうか

東方 絵 音ゲー

八合目としての皆伝

この記事はGUTアドベントカレンダー2018の12/1担当分です。

はじめに

beatmaniaIIDXはたかが音楽ゲームに過ぎない。しかし自分はこのゲームでゲームとは思えない多大なる苦しみを得ながら、一つの到達点であるシングルプレイ皆伝を目指し、CANNON BALLERSでこれに合格した。皆伝に合格したのは今から3週間程前のことで、合格の興奮はとっくに収まっている。そのため割と冷静に皆伝を取るまでの5年少し・4700クレ・BMS2700万ノーツを振り返ることができるだろう。アドベントカレンダーを期にこの記事を書き、皆伝を目指し合格したことが自分の中でどういう位置付けなのか整理する助けとしたい。それと同時に、皆伝を取るまでに自分がどういう思いを抱いていたか、なぜ苦しかったか、そしてどうしてそこまでゲームで思いつめるのか、ビートマニアをやらない人・音ゲーをやらない人にもわかるように伝えていきたい。そしてゲームにそこまで思いつめる人間が世にはいるのだと笑って欲しい。本当は共感してほしい。

皆伝を取るまでの練習法などは書いていない。

 

ビートマニアとの出会い

僕は元々高校入学ごろからiOSでいろいろな音ゲーのアプリを見つけて遊んでいて、その流れでKONAMIREFLEC BEATという音ゲーiOS版をやり始めた。そのアプリをやっている内に、ゲームセンターにある”本物の”リフレクビートをやりたくなって、ゲームセンターに通うようになってしまった。その後、高校の同じクラスの音ゲー友達の影響で弐寺beatmania IIDXをプレイヤーはこう呼ぶこともある)をプレーし始めた。高3の夏、tricoroの頃である。*1

ビートマニアはよくある音ゲーと違って、初心者が真ん中くらいの難易度をやると手も足も出ない。そのためレベル12まである中でのレベル1〜3くらいからやることになるが、自分のできる上限のレベルがだんだん上がっていくのが面白かった。段位というのも、始めてすぐから常に意識していた。ビートマニアには段位という七級〜一級、初段〜十段、中伝、皆伝とレベルが上がっていく実力認定システムがある。こちらも始めてすぐはポンポン級位が上がっていくので気分がよかった。このように最初は無邪気にビートマニアも楽しんでいた。おおよそ七段、PENDUALの途中くらいまでだろうか。

 

周りの成長速度が気になる

それなりにビートマニアができるようになり、段々周りの様子が見えてくると気づいたことがあった。自分の成長速度の遅さである。あるときは同じ段位だった人が、あっという間に自分のはるか上へ行ってしまう。更に自分特有の体験かもしれないが、代々自分が勝手にライバル視していた人は尽く自分を置いて成長していった、という思いがある。ある人をライバル視して離され、下から追いついて来た人をライバル視するとまた離され。その繰り返しは正直言ってストレスだったし、笑ってはいたけど傷ついた。

音ゲーの実力においては言い訳・逃げ道がないことがそれに拍車を掛けた。例えばイラストに関して言えば、画力は低くても味がある絵を描くと評価されるケースはいくらでもある。一方音ゲーに関しては下手な人間が評価される要素は皆無と言っていい。上手い人間はすごいし、下手な人間はそれ未満。それで終わってしまう。それでも自分と同じ状況にある人がみな同じように感じるとは思わない。自分はたまたま上手くなることの魔力に取りつかれ過ぎてしまっただけ。同じくらい努力をしているはず*2なのに、自分が置いていかれるのは理不尽だと思うような精神構造を持っていただけ。ただ才能がないのにそのメンタルだけ持っているのは、苦しみでしかないと想像してはいただけないだろうか。

 

あまりにもスポーツ

成長速度の遅さと並んで僕を苦しめたものがあった。ビートマニアの下手になりやすさである。他の音ゲーもプレーしているため分かる差ではあるが、他と比較するとビートマニアはすぐ下手になりやすい。そのためゲーセンに行けない日が続くと段々心配になってくる。しかも、個人的には目や腕の調子が大切だったりするので、たまに行けたと思っても目や腕がダメで思うようにできなかったりする。ビートマニアは誰もがゲームであると思っているが、あまりにもスポーツ性が高かった。集中して投下された努力が物を言う世界だった。それを認識したのが遅すぎて、気づいた時にはビートマニアへの負の感情が蓄積されていた。

 

皆伝に固執したわけ

それでも僕は皆伝が取りたくてしょうがなかった。それが何時からなのかはわからない。はじめた頃はリフレクにも入っていた☆10 Express Emotionというそこまで難しくない譜面がイージークリアできたらいいなあ。と思っていた記憶がある。

皆伝を目指すきっかけは思い出せないが、一度皆伝を目指し始めてから皆伝に固執した理由は今でも明確である。ひとつは、「皆伝は誰でもやってれば取れる」と多くの人の口から耳にしたことだ。

実際には、ある程度プレーを重ねている段位持ちの人数を見てみると、

初段:1125(+1)
二段:789(-1)
三段:1523(+2)
四段:928(+0)
五段:3450(+2)

六段:9415(+6)
七段:5853(+7)
八段:11901(+1)
九段:5241(-9)
十段:6849(-2)
中伝:7214(+8)
皆伝:5365(+25)
2018/11/07 SP段位取得者 END

 

このように初段以上が約6万人に対して皆伝は5365人と、誰でも皆伝というような状況ではない。しかし自分の存在する音ゲーをする人のコミュニティ的には、誰でもやれば皆伝を取れるという風潮があった。そのため皆伝を取れないなら、それは全て自分の要領の悪さ・努力不足に帰される。僕はそう考えた。特に自分の要領が悪いと認めたくなかった。*3

もうひとつは、次は納得いくまでやりたいという思いだった。僕は弐寺が七段か八段の頃、10年程続けていたテニスをやめた。その理由は今のままテニスを続けていてもこれ以上向上しないと思ったからだ。伸び悩んでいたからという理由で何も達成できずにテニスを辞めたことを後悔したので、できれば同じ思いをしたくなかった。皆伝が取れないことを理由にビートマニアを辞めたくなかったのだ。

最後は、「皆伝は誰でもやってれば取れる」と言う人に冷水を浴びせたいという思いだった。何かが足りない人間が皆伝を取るには、これ程思いつめないといけないのだと例示したかった。そのためには皆伝を取らない訳にはいかないという思いがあった。

たかがゲームなのに

「たかがゲームなのになぜそんな思いつめてるの。」それはまっとうな反応だと思う。しかし、たかがゲームだから、生活が掛かっているわけではないから、それで食っていけるわけではないから、将来を決めるわけではないから、有用なスキルが身につくわけではないから、だからこそ意志の強さが試される。僕はそう思っていたかったのだ。でも正直に言うと、皆伝を取りたいという気持ちは、皆伝から逃げる人間になりたくないという気持ちに変容していた。それこそ皆伝にこだわった理由は、それを諦めることに対する負の感情が大きすぎただけだと思う。誤解を恐れずに言うと、

「皆伝の一つ前の中伝に合格するくらいまでビートマニアをやってきて投げ出すのはダサい。」

「ある程度ビートマニアをやってる人はみんな受かってる皆伝を取れないのはダサい。」

「皆伝取れないとかポケモンで殿堂入りできないようなもんだろ。」

こういう後ろめたい思いをずっと抱いていた。それに自分が当てはまって、自分の事を嫌いになりたくないだけだった。

ビートマニアメンヘラアカウント

こういった諸々に晒され続けて、皆伝合格前の数ヶ月は半狂乱になりながらビートマニアをしていた。PENの最後に十段を取ってから、時間をかけながらも皆伝に合格してもおかしくはない実力に2018年8月くらいには到達していた。しかしあと一歩の時期が長かった。その期間中は、

「早く皆伝を取って、人生を取り戻したい」

「ゲームクリアしたい」

「皆伝を取ったら音ゲー以外のいろんなことに手を出したい」

そんなことばかり考えていた。友達に突発的に飲みに誘われても「ゲーセンでちょっと手動かしてから後で行くわ。」と平気で答えていた。OKするどころかゲーセンまでついてきてくれた友達の心の広さには驚嘆した。ツイッターでも見苦しいツイートをたくさんしたと思う。常にネガティブなことをツイートしていた気がする。この数カ月は必死だったが、その分振り返りたくない時期においおいなっていくのだと思う。

合格時

ビートマニアの皆伝というのは受けられる期間が決まっている*4。期間内に合格できなければ、受験チャンスは数ヶ月やってこない。ビートマニアの実力は蒸発しやすいと先程述べたが、リアルの事情もあり、数ヶ月実力を維持するのは困難だと考えた*5。そうした状況の中、「皆伝を受けられるのが11/6まで」と2018年10月末頃に公式からアナウンスがあった。いつか合格できればいいと思っていたが、タイムリミットがついてしまった。

残り限られた期間の中で慎重に調子が良さそうな日を待ったが、噛み合う日はいつまでもやって来ずとうとう11/6になってしまった。最終日の11/6は皆伝の友達と一緒にゲームセンターに来ていたが、思いの外調子が良かったので半分諦めながらも皆伝を2回受けて落ちた。3回目に2回の失敗の後に友達から教えてもらったコツがうまくハマって、なんとか合格することができた。閉店間際だったので合格したときは11/7になっており、我ながら奇跡の合格だったと思う。もしかしたらCBで皆伝に合格した最後の人間だったかもしれない。

合格したら感極まって泣くかと思っていたが、普通にテンション上がってわいわい騒いでいた。

おわりに

よくある「皆伝合格しました日記」には、今後のビートマニアの展望・目標が書いてあるものだが、今の所さらに高みを目指そうという気にはならない。ただ、ついにビートマニアを心から楽しむことができるのかもしれないと期待している。皆伝は入り口、登山口に過ぎないという人もいる。でも僕にとっては苦しみながら十分な高みへと登って来たつもりであり、自分のことを見直している。しかしあと少しだけ高みを目指せるのかもしれない。そういう思いで「八合目としての皆伝」という表題をつけた。

周りに取り残されてつらい。思うように成長しなくてつらい。そういった状況に結局ポジティブな解決法は見つからなかった。ひたすら耐えただけである。ただこうして文章化することで、読んだ人に嘲笑なり共感なり発見なりをしてもらえれば嬉しい。f:id:nerewid:20181201030738j:plain

皆伝を取るまでの取り組みの具体的なエピソードはこちら↓

十段から皆伝まで這い上がるまでの過程 - 果たしてそうでしょうか

 

*1:余談だが、自分はずっと「高3の夏休みにtricoroから始めた」という自覚がずっとあった。しかし調べてみるとtricoroの稼働開始は9/25だったらしい。ほとんどLincleはやっていなかったようだ。tricoroの稼働開始は前年の9/25なのでこの夏休みはずっとtricoroの時代。記憶は正しかった。

*2:これは大きな思い上がりであるが。

*3:よく知っている人は分かると思うが自信家なので。

*4:期間中は何回でも挑戦できる。

*5:実際その予想は当たっていた